エネルギーの局在性と横モードについて雑感

 今回は、『「存在は全てが光」への道』への対応も含めて、量子場光学を少し改善していこうと思う。なお、これまでの量子場光学の対象は『「存在は全てが光」への道』を除いては例えばダブルスリット干渉のような低エネルギーの現象が中心であった。しかしながら、光からフェルミオンハドロンが生まれることを考えるならば高エネルギーへの対応が必要になる。

 自仮説の量子場光学においては、自由場では光子の光波束だけでなく、電子もさらには複合粒子も進行方向でのみ局在化して波束が構成され、進行方向と垂直な方向では横モードの拡がりがある程度制限されると考えている。さらに、進行方向への波数の少しずつ異なる平面波の重ね合わせで進行方向のみに局在した波束が出来ると考えている。

自由電子場の電子の波束のイメージ図

そして、電子の質量は横モードの拡がりの程度に関係している可能性があると以前は考えていた。

 今回は、この考え方を再考してみたい。その理由は高エネルギーの光子が電子対生成を起こす際の泡箱の電子対の飛跡を見るに、電子及び陽電子の飛跡の太さが思いのほか細いからだ。高エネルギーの光子の横モードを基本的には無限大に拡がっているとするのは無理があるような気がしてきた。ダブルスリット干渉のように低エネルギーの光子を対象としている場合は問題とならないのだが、電子対生成や電子対消滅が生じる高エネルギーを対象とするとちょっと疑問が生じてくるのだ。光子も高エネルギーとなると横モードの拡がり具合が小さくなるのではないかという疑問である。

 もしかして、光子も電子も横モードは質量ではなくエネルギーの局在性と関係しているのではないだろうか。電子の静止質量 m_e も実際には質量エネルギー m_e c^2 であって、静止質量は電子が静止している際の局在したエネルギーであり、もっと言うなら、静止質量はみかけの量とも言える。そして、光子も電子も横モードの拡がり具合はエネルギーの局在性に依存するという仮説だ。自由場において、例えば 1.02 MeV を越えるエネルギーを持つ光子が 0.51MeV の電子と 0.51MeV陽電子とに分かれる際、光子の横モードも電子及び陽電子の横モードの拡がり具合はエネルギーに依存すると考える。さらに言えば、量子はエネルギーが高いほど縦モードだけでなく横モードも局在化が著しくなると考えることができる。

 逆に考えれば、束縛電子場において、原子に束縛された電子の大きさは、それほどエネルギーが高くないので思いのほか大きく原子と同じぐらいでも良い訳だ。原子核を電子が雲のように覆っているイメージはあながち間違いではないような気がする。電子雲は確率分布を表しているのではなくて波動の拡がりそのものであってエネルギーの局在性が低いことを意味していると考えるべきなのだ。そして、自由電子場において、静止している電子の大きさも同様に思いのほか大きいと考えられる。もっとも大きさをどう定義するかで大きく異なるのでなかなか難しいのだが。。。

 というふうに一旦は再考を試みたのだが、もうひとつ忘れてはいけないものがある。量子場光学においては、光は1光子レベルの光波束であって光子の素励起情報の波動である。そして、確率的に選択する確率波とも言えるものだ。

 自由光子場を伝搬する1光子レベルの光波束は例えば原子核の作る Coulomb 場と相互作用して電子と陽電子との対生成をする。1光子レベルの光波束が確率的に原子核を選択するならば、横モードは光源や光学系によって制約されるものの基本的には無限に拡がっているとしても問題無い。再考する必要は無い訳だ。

 結論としては、新たな考えが浮かぶまではこれまでの考え方を変えない。下図のようになる。。。なんてどうだろうか。。。なお、光学遷移ではなく \gamma 線源としたのは通常の光学遷移では電子対生成に必要なエネルギーの光子を得ることが困難だからだ。

電子対生成のイメージ図