量子場光学での1光子レベルの光波束の発生イメージ2

 2023-11-08の投稿「量子場光学での1光子レベルの光波束の発生イメージ」ではJ.J.Sakurai著の日本語訳「上級量子力学第1巻」のp51に記載の内容を参考にして、『以上から類推して量子場光学に当てはめて考えると、原子に束縛された束縛電子場の励起状態Aの電子は低エネルギー状態Bに光学遷移する際に、ドーナツ形状の遷移頻度分布に従って1光子レベルの光波束を自由光子場に出射するということになる。そして、上図においては、受光素子の方向へ平面波の波束として出射された1光子レベルの光波束が受光素子の束縛電子場に伝搬するということになる。これが、量子場光学での自発放射のイメージである。』と説明した。ただし、この投稿では光源側の束縛電子場と自由光子場との相互作用、自由光子場と受光側の束縛電子場との相互作用については説明しなかった。なお、自仮説の量子場光学ではエネルギーと運動量は場と場の相互作用で移動するとしている。今回はこの点について説明を試みる。

 重要な点は、場と場の相互作用はある時空点での相互作用の開始から異なる時空点での相互作用の開始直前までに継続し、移動するエネルギー及び運動量は場を量子の素励起情報の波動が1量子レベルの量子波束として伝搬し次の相互作用をする相手である場に対して確率分布を形成し、次の相互作用の相手である場の量子を確率的に選択することで確定することである。したがって相互作用においてエネルギー及び運動量の移動は相互作用の完了直前までとなる。極短い時間を除いて通常は自由場においてはエネルギー及び運動量の大きさは相互作用の間において変化することは無いが、運動量の向きは変化し得て、相互作用の完了直前に確定することとなる。次の相互作用の相手が確定してからエネルギー及び運動量の移動が完了すると考えることは不自然では無い。なお、その移動がどの時点で開始するかは特に決める必要は無い。

 以上の説明内容が本質的であるところを踏まえた上で、便宜的に光源側の束縛電子場から自由光子場へのエネルギー及び運動量の移動、そして、自由光子場から受光側の束縛電子場への移動を説明しようとすると次のようになる。

1光子レベルの光波束の伝搬のイメージ図

上図のように、光源側の束縛電子場の励起電子の光学遷移による自発放射の遷移頻度分布はドーナツ形状となっている。これは古典電磁気学での双極子放射での角度分布と同様である。ドーナツ形状の遷移頻度分布に従って1光子レベルの光波束を自由光子場に出射するということになる。そして、上図においては、受光素子の方向へ平面波の波束として出射された1光子レベルの光波束が受光側の束縛電子場に伝搬するということになる。

 なお、光源側の束縛電子場と自由光子場との相互作用は、1光子レベルの光波束が伝搬を開始してから光源側の束縛電子場から自由光子場へのエネルギー及び運動量の移動は受光側の束縛電子場の電子に対して形成された確率分布に基づいて励起される電子が確率的に選択された時点まで継続する。そして、エネルギー及び運動量は相互作用の完了直前に確定し移動が完了することになる。そして、自由光子場と受光側の束縛電子場との相互作用は、光源側の束縛電子場と自由光子場との相互作用が完了した後に開始することになる。受光側の束縛電子場の選択された電子は自由光子場から移動したエネルギー及び運動量に基づいて受光素子の電流パルスとなって光が検出されることになる。

 こんなふうに自仮説の量子場光学では1光子レベルの光波束の発生イメージを考えているが、どんなものだろうか。。。ところで、自由光子場を伝搬する1光子レベルの光波束は自由光子場が分散が無いのでどのような形状の光波束でも時間発展と共に拡がってしまうということはない。したがって、光源の性質に応じて波束の形状を設定すれば良く、伝搬による時間発展で形状が変化することはない。波数分布が Lorentz 分布である光源からの1光子レベルの光波束の形状は Lorentz 分布をフーリエ変換した指数減衰型の分布の形状となる。また、波数分布が Gauss 分布である光源からの1光子レベルの光波束の形状は Gauss 分布の形状となる。取扱いの便利さから後者とすることが多いようだが、光源の物理的性質が自然幅の古典モデルを採用するのであれば、励起原子が光学遷移で減衰振動しながら基底状態に戻るとなるので、波束の形状は緩和時間による指数的な減衰となり、光源の波数分布は Lorentz 分布となる。このように考えれば物理的にもわかり易い気がするがどうだろうか。。。

初心に返って量子論:重ね合わせの原理

 今回は、重ね合わせの原理について、粒子の量子論である量子力学と場の量子論とでの違いについて書いてみる。量子論は線形性に基づく理論であることから、重ね合わせの原理が成立する。

 そこで、まずは粒子の量子論である量子力学での重ね合わせについて考える。量子力学の場合は、粒子に着目するので粒子の状態の重ね合わせとなり、例えば、光のダブルスリット干渉の場合、1つの光子が2つのスリットを通過するそれぞれ2つの経路が粒子の状態に対応する。そこで、2つの経路をそれぞれ |1> |2> と表現すると、重ね合わせの状態は次式で表現される。

 \qquad \displaystyle{ \frac{1}{\sqrt{2}} \left( |1> + |2> \right) }

 一方、場の量子論では光のダブルスリット干渉の場合は1光子系なので場の重ね合わせは存在しない。(ただし参考として、実光子と仮想光子の2光子系の量子もつれという私と違う考え方も有るようだ。)特に自仮説の量子場光学では1つの光子波は1光子レベルの光波束として両方のスリットを通過する。これは波動の性質であって場の状態の重ね合わせではない。ただし、2光子系の場合は2つの光子の場の状態としての重ね合わせが存在する。これが2光子系の量子もつれであり、以前に説明したように、次式で表現される。

 \qquad \displaystyle{\frac{1}{\sqrt{2}} \left( a_{\mathbf{k},1}^\dagger a_{-\mathbf{k},2}^\dagger + a_{\mathbf{k},2}^\dagger a_{-\mathbf{k},1}^\dagger   \right) |0> }

 以上のように、粒子の粒子論である量子力学では粒子の状態の重ね合わせであり、場の量子論では場の状態の重ね合わせであることを区別して考えることが必要と考える。

 ちなみに、北野正雄先生の著書「量子力学の基礎」のp15辺りに『BS1で光子がどちらか一方の光路に排他的に振り分けられるのではなく、両方に分配されると考えざるを得ない。ただし、1つの光子が2個の光子になるはずがないので、それぞれの光路にあるのは検出される確率が1/2の「灰色」の光子であって、光路1,2の2つの「灰色」の光子を合わせて、一人前の光子だと思うのである。』との興味深い記述と、マッハツェンダー干渉計による光子の干渉を説明するための図2.5が示されている。さらに、p16に『光路1,2の2つの「灰色」の光子は独立なものではなく、一方が検出された場合には他方は決して検出されないという強い相関をもっている。光子というものは、通常の意味での粒子とは大きく異なっており、「灰色化」することにより、空間、時間的に拡がりをもつことができる。』との記述や、『光子の干渉はヤングのダブルスリットの実験においても見られる。1つの光子が灰色化して両方のスリットを通過して、スクリーンで干渉し、強めあう場所では大きな確率で、弱めあう場所では小さい確率で検出される。』との記述がある。この著書は粒子の量子論である量子力学の基礎を解説する本なのでこのような記述になっているものと思われる。他の量子力学の本では光の粒子性の意味を2つの分けることのできない粒子と考えて、ダブルスリットの片方を光子が通過すると記述されている本が多い中、この本は両方のスリットを通過することを否定していない点で私には非常に興味深い。これは、以前の2023-10-11の投稿「ダブルスリット干渉実験について2」に密接に関係しており、今後の動向に注目していきたい。

 ちなみに、北野正雄先生の著書「量子力学の基礎」のp11に『2.2.量子サイコロービームスプリッタ』として光子(自仮説の1光子レベルの光波束に相当)がビームスプリッタで透過側と反射側に振り分けられるような記述があるが、これは自仮説の量子場光学では2023-10-22の投稿「量子場光学から見たビームスプリッタとダブルスリットについて」にて説明したように、1光子レベルの光波束はあくまで透過側と反射側の両方に分岐されるとしており、透過側の検出器の束縛電子場の電子と反射側の検出器の束縛電子場の電子とが区別できないのでいずれか一方の電子が励起されると考えている。ここで1光子レベルの光波束は光子の素励起情報の波動であって一種の確率波であるとしている。

 以上、私が勝手に思うに、場の量子論を考慮した自仮説の量子場光学を用いれば、すっきりと説明できるように思うがどうだろうか。。。おっと、初心に返るつもりがついついトンデモ自仮説に引き戻されてしまった。。。

量子場光学で考えた電子とは何か

 自仮説の量子場光学によって、光子や電子の振る舞いはある程度明瞭となった気がする。そして、光子は自由光子場が通常であるが、電子の場合は純粋な自由電子場は部分的にしか存在しておらず、自由電子場において Higgs 場との相互作用が絶えず繰り返して起こることになっているので改めて全体を擬自由電子場と呼ぶことにした。電子の質量は Higgs 場との湯川相互作用として生じる。それは下図のようにスピン右巻き状態 \psi_R の電子波とスピン左巻き状態 \psi_L の電子波との繰り返しとなっている。自由電子場と Higgs 場とが相互作用する際に時空点が一致する必要があるが、頻繁に相互作用が起こるために1電子レベルの電子波束が同心円状に拡がる時間が短い。さらに、相互作用において運動量保存則が成り立つ必要がある。これらが擬自由電子場の電子波の横モードが拡がらない理由であると考えている。

電子の素励起情報の波動の伝搬イメージ図

 さらに、電子の3次元PT図を用いて説明すると、正世界の右回りがカイラリティ+1のスピン右巻き状態 \psi_R に対応する。一方、負世界の左回りがカイラリティー1のスピン左巻き状態 \psi_L に対応する。なお、カイラリティとヘリシティの関係は一般には一致しないが、エネルギー E が質量 m に比べて十分に大きい場合はカイラリティ+1(-1)の状態はヘリシティ + \frac{1}{2} - \frac{1}{2} )を持つと近似してよいらしい。そして、ヘリシティで言えば電子の場合は2回転して元に戻ることを意味している。そして、ヘリシティで言えば1回転毎、PT図で言えば半回転毎に Higgs 場との相互作用が生じており、純粋な自由場での伝搬ではない。さらに言えば、実電子は、スピン右巻き状態 \psi_R とスピン左巻き状態 \psi_L とを交互に繰り返して伝搬し、これは Zitterbewegung とも呼ばれる前後のジグザグ運動に対応して縦波として振る舞うので、電子は光速よりも遅くしか伝搬できない。

実電子の3次元PT図

 以上のように、光子は質量が無いので自由光子場を光速で伝搬する1光子レベルの光波束として表現されるが、電子は質量があり純粋な自由場ではなく擬自由電子場を光速よりも遅い速度で伝搬する1電子レベルの電子波束として表現されることになる。これを非相対論的な量子力学で近似的に表現すると、質量 m の電子の物質波という概念が出てきて、そのエネルギーは E_k = \frac{\hbar^2 k^2}{2 m} で表現できる。ただし、擬自由場での伝搬で分散があるので物質波の波束として考えると時間発展と共に拡がっていくことになってしまう。すなわち、物質波の概念で電子を表現するのは近似としても無理があるということなのだ。なお、電子の1電子レベルの電子波束は擬自由電子場の一部を構成する自由電子場においては光速で伝搬する。一方、光子の場合は純粋な自由場での伝搬で分散が無く、そのエネルギーは E_k = c \hbar k であり、光波束は時間発展しても拡がることは無い。以上のように考えると光子と同様に電子もすっきりした気がするのだがどうだろうか。量子力学では光子も電子も同様の粒子性及び波動性を持つとしているような気がするが、光子(1光子レベルの光波束)は自由光子場を伝搬し、電子(1電子レベルの電子波束)は擬自由電子場を伝搬するというように、 Higgs 場との相互作用の有無という点において異なるのだ。。。なんか、量子場光学の存在意義がやっと見えてきた気がするのだが、気のせいでやっぱりトンデモだろうか。。。

初心に返って量子論:古典場と量子場

 今回は、古典場と量子場との違いについて書いてみる。新井朝雄先生の著書「物理学の数理」のp311の脚注に『プランク定数 h 2 \pi で割った定数 \hbar が(6.49)に含まれているからといって、それがただちに量子論と結びつくと考えてはならない。』との記述がある。そして、p311に次の式(6.49)があり、『場の方程式(6.49)を自由なド・ブロイ方程式と呼び、その解を自由なド・ブロイ場という。』と紹介されている。もちろん、このド・ブロイ場は古典場である。

 \qquad \displaystyle{ i \hbar \frac{\partial \psi (x)}{\partial t} = - \frac{\hbar^2}{2m} \Delta \psi (x) } ・・・(6.49)

そう言えば確かに、正準交換関係(もしくは正準反交換関係)を用いて正準量子化してこそ量子場となる。虚数 iディラック定数 \hbar量子論特有のものではないのだ。

 ついでに、p299辺りに古典場としての相対論的実スカラー場という実クライン―ゴルドン場についての記述がある。自由なクラインーゴルドン方程式である式(6.15)を以下に示す。

 \qquad \displaystyle{ \square \phi (x) + \kappa^2 \phi (x) = 0 } ・・・(6.15)

そして、粒子的描像での粒子の質量 m は次式(6.19)となる。

 \qquad \displaystyle{ m := \frac{\hbar \kappa}{c} } ・・・(6.19)

 以下は私の勝手な解釈だが、ここで、運動量 \mathbf{p} を用いて de \; Bloglie の物質波( \mathbf{p} = \hbar \mathbf{k})と並べてみると、

 \qquad \displaystyle{ mc = \hbar \kappa \longrightarrow \mathbf{p} = \hbar \mathbf{k} }

もちろん、 \kappa は波数 \mathbf{k} ではない。しかし、似ている。さらに、両方に光速 c を掛けると、

 \qquad \displaystyle{ mc^2 = c \hbar \kappa \longrightarrow c \mathbf{p} = c \hbar \mathbf{k} }

 mc^2 は質量エネルギーで、 c |\mathbf{p}| は運動エネルギーで、両方を2乗して足すと、

 \qquad \displaystyle{ E^2 = (mc^2)^2 + (c |\mathbf{p}|)^2 }

これは質量 m で運動量 \mathbf{p} の相対論的自由粒子のエネルギーではないか。

 ともあれ、非相対論的でも相対論的でも古典場で \hbar は登場する。ということは、量子場は正準(反)交換関係が正準量子化の要諦で演算子が非可換であることが重要ということであって、 \hbar は関係ないようだ。。。ということは、 M.Planck の放射公式も古典論で量子論の手前だったということだ。量子化の一歩手前の離散化ということか。。。

初心に返って量子論:正準交換関係

 光とは何かを明らかにしたくて自仮説の量子場光学の構築を目指した。それといっしょに、量子論の勉強もしてきた。特に、電磁気学量子力学、特殊相対論、そして場の量子論と、色々と雑学的に勉強しつつ、量子光学の本も読んできた。しかし、じっくりと勉強したかというと、結構流し読みになることが多かった。

 そこで、色々な本を読み返して理解を基本的なところから深めていきたいと思う。ただし、自仮説の見直しが目的なので、自仮説と比較することは必要である。そうすれば、自仮説の問題点も見えてくる気がするからだ。

 今回は、正準交換関係について復習する。なお、 Lagrange 形式で表すことにする。また、時間発展を演算子に負わせる Heisenberg 描像を用いることにする。したがって、同時刻交換関係である。

 まずは有限自由度の量子力学では、正準変数として一般化座標  q (t) とそれに共役な一般化運動量  p (t) とを設定し、それらの間に自由度が1の場合は次の交換関係が成立する。

 \qquad \displaystyle{ [ \hat{q} (t), \hat{p} (t) ] = i \hbar }

ここでは、オブザーブルを表す演算子 \hat{q} (t), \; \hat{p} (t) で置き換えられている。なお、多自由度の場合は次の交換関係が成立する。

 \qquad \displaystyle{[ \hat{q}_j (t),\hat{p}_k (t) ] = i \hbar \delta_{j,k}, \; [\hat{p}_j (t),\hat{p}_k (t) ] = [ \hat{q}_j (t),\hat{q}_k (t) ] = 0 }

 一方、無限自由度の場の量子論では、正準変数として場  \phi (t,\mathbf{x}) とそれに共役な一般化運動量  \pi (t,\mathbf{x}) とを設定し、それらの間に次の交換関係が成立する。

 \qquad [ \hat{\phi} (t, \mathbf{x} ), \hat{\pi} (t, \mathbf{y}) ] = i \hbar \delta^3 (\mathbf{x} - \mathbf{y}), \\ \qquad [ \hat{\pi} (t,\mathbf{x}), \hat{\pi} (t,\mathbf{y}) ] = [ \hat{\phi} (t,\mathbf{x}), \hat{\phi} (t,\mathbf{y}) ] = 0

ここで、量子力学と場の量子論とを比較してみると、まずは有限自由度か無限自由度かという点である。場の量子論は定性的なので定量性は量子力学に依存するということになる所以である。場の量子論繰り込み可能であっても摂動近似に頼るしか計算が困難という点がある。

 次に比較すべき点は、量子力学の正準変数はオブザーブルなのに対し、場の量子論の正準変数は間接的にしか観測できない量であることである。

 光を理解するには場の量子論により電磁場を量子化するのが良いが、場の量子論は発展途上と心もとなく定性的理解に使うにしても、定量性が確立された量子力学に頼るというのが妥当なスタンスかなと、正準交換関係だけ見ても思えてしまう。。。ところで、正準交換関係による正準量子化という考え方はたぶん Dirac が生み出したように記憶しているが、どのように考えて思いついたのだろうか。すっきりしたいので、正準交換関係の根拠、特に量子力学演算子が非可換となり i \hbar が登場した経緯をもうちょっと調べてみようかと思う。。。とはいえ、私の力量不足でうんざりして終わりそうだけど。。。

初心に返って光とは何か:粒子性と波動性

 光とは何かを明らかにしたくて自仮説の量子場光学の構築を目指した。そして、私の力量の範囲ではこれぐらいかなあという程度まで検討してきたつもりだ。これがトンデモなのかある程度意味のあることなのかはまだなんとも言えないが、自分なりに満足している。ただし、光とは何かを考える時に、自仮説に引っ張られ過ぎて問題点が見えなくなってきている気もする。量子論の歴史も踏まえて基本的なところをすっきりとしたい。

 そこで、色々な本を読んで理解を基本的なところから深めていきたいと思う。ただし、自仮説の見直しが目的なので、自仮説と比較することは必要である。そうすれば、自仮説の問題点も見えてくる気がするからだ。

 今回は、光の粒子性と波動性の二重性について考える。 Young のダブルスリット干渉実験を見れば波動性は明らかである。問題は粒子性の方である。粒子性の定義が曖昧のように感じる。光のエネルギーが離散的で \hbar \omega のエネルギー量子として表現されることが、 M.Planck の放射公式で明らかになった。ただし、これは光のエネルギーの離散性である。波動であっても閉じ込められれば離散的になる。光電効果 Compton 散乱は半古典論で説明可能であるので粒子性の根拠とならない。量子光学においては今はアンチバンチングが粒子性の根拠という意見があるが、量子光学において光子と呼んでいるものは自仮説の1光子レベルの光波束であって私はアンチバンチングも粒子性の根拠とはならないと考えている。粒子性が数えられるものという定義ならば光波束も粒子性ということになって波動性との区別がつかない。まして、バンチング、アンチバンチングというのは光源からの発光のタイミングの統計的性質であって、光源から出射した光単体の性質ではない。さらに、光の粒子性が光子が剛体のような存在と考えることは相対論的に有り得ない。

 それならば、光は波動そのものであるとした方が良いように思うがどうだろうか。自仮説では光子は光子場の波動で、1光子レベルの光波束が一種の確率波として自由光子場を伝搬していくと考えている。そして、自由光子場が束縛電子場と相互作用する際に、光子のエネルギーの離散性が出現する。。。なお、ついでに自仮説の量子場光学では電子も波動そのものであると考えている。。。戯言かもしれないがちょっと力が入ってしまった。。。

量子場光学で考えた光とは何か3

 量子光学を勉強してみてわかったことだが、光子の集団の統計的性質を扱う量子光学では表現できない点があって、そのような点に着目することで量子場光学の特徴が出てくる可能性が期待できる。

 ところで、電子の Higgs 場との相互作用のイメージと光子のガラスでの伝搬のイメージとを比較することで次のようなとんでもないことを思いついた。

 まずは、1光子レベルの光波束、すなわち、光子波がガラス板を伝搬するイメージである。下図は2023-10-04の投稿「量子場光学から見た受光素子とガラス板について」にて示した図である。

光子の素励起情報の波動の伝搬イメージ図

次は、1電子レベルの電子波束、すなわち、電子波が Higgs 場との複合場である自由電子場を伝搬するイメージである。なお、入射波動Aと通過波動Bがずれているのは同じ軸で書くと解り難い図となるからで、運動量保存側があるので実際はずれることはなく縦波であるかのように振る舞う。次に、下図は2024-03-06の投稿「エネルギーの局在性と横モードについて雑感5」にて示した図である。

電子の素励起情報の波動の伝搬イメージ図

この2つの図を比較すると、ガラス板は束縛電子場(ガラスの物質場)のように見え、光子波がガラスの物質場との複合場である自由光子場を伝搬していくように見えてくる。自由電子場は自由と言いながら実際は Higgs 場が時空全体に張り付いているので Higgs 場と自由電子場との複合場である。一方、光子の場合は、ガラス板の外では自由光子場は複合場でなくて純粋な自由場である。ただし、ガラス板の中ではガラスの物質場(ガラスを構成する原子に束縛された電子の束縛電子場)と自由光子場の複合場となっている。そこで、純粋な自由場と区別するために必要に応じて今後はこのような複合場に「擬」を付けて擬自由量子場と呼ぶこともあることにする。光子波は下図のようにガラスの物質場と自由光子場との複合場である擬自由光子場を伝搬する。光がガラス板の中で速度を落とすのはある意味で光子が質量を持ったように振る舞うということである。これは電子が Higgs 場と真の自由電子場との複合場である擬自由電子場を質量を持って伝搬するのと同様である。

光子のガラス中の伝搬イメージ図

 このように考えると、質量の意味が見えてくる。質量は Higgs 場や物質場との複合場で量子が繰り返し相互作用をすることで光速よりも遅くなることを示している。なお、光子波もガラス板の中では縦波のように振る舞う。これが質量を持つという意味である。そして、電子波は Higgs 場と繰り返し相互作用することで縦波のように振る舞う。 Higgs 場は時空全体に張られているので電子は常に質量を持つように振る舞う。このように考えると、かなり質量の意味が明確になってきたような気がする。そして、これは量子光学ではなく量子場光学を用いることでこのような議論が可能となる。

 とんでも仮説かもしれないが、以上のように考えると、自仮説の量子場光学の存在意義がみえてくると思うのだが、どうだろうか。。。以前に、量子場光学によってなにも新しい発見は無いので存在意義がまだみつからないと言っていたが、ちょっと存在意義が見えてきたように思えて、自我自讃だ。。。2024-03-31に投稿の「再び量子光学の勉強3」でも述べたように、光子の集団の統計的性質を扱う量子光学と場に存在する量子を扱う量子場光学とは用途に合わせて使い分けるべきなのだ。。。