初心に返って量子論:重ね合わせの原理

 今回は、重ね合わせの原理について、粒子の量子論である量子力学と場の量子論とでの違いについて書いてみる。量子論は線形性に基づく理論であることから、重ね合わせの原理が成立する。

 そこで、まずは粒子の量子論である量子力学での重ね合わせについて考える。量子力学の場合は、粒子に着目するので粒子の状態の重ね合わせとなり、例えば、光のダブルスリット干渉の場合、1つの光子が2つのスリットを通過するそれぞれ2つの経路が粒子の状態に対応する。そこで、2つの経路をそれぞれ |1> |2> と表現すると、重ね合わせの状態は次式で表現される。

 \qquad \displaystyle{ \frac{1}{\sqrt{2}} \left( |1> + |2> \right) }

 一方、場の量子論では光のダブルスリット干渉の場合は1光子系なので場の重ね合わせは存在しない。(ただし参考として、実光子と仮想光子の2光子系の量子もつれという私と違う考え方も有るようだ。)特に自仮説の量子場光学では1つの光子波は1光子レベルの光波束として両方のスリットを通過する。これは波動の性質であって場の状態の重ね合わせではない。ただし、2光子系の場合は2つの光子の場の状態としての重ね合わせが存在する。これが2光子系の量子もつれであり、以前に説明したように、次式で表現される。

 \qquad \displaystyle{\frac{1}{\sqrt{2}} \left( a_{\mathbf{k},1}^\dagger a_{-\mathbf{k},2}^\dagger + a_{\mathbf{k},2}^\dagger a_{-\mathbf{k},1}^\dagger   \right) |0> }

 以上のように、粒子の粒子論である量子力学では粒子の状態の重ね合わせであり、場の量子論では場の状態の重ね合わせであることを区別して考えることが必要と考える。

 ちなみに、北野正雄先生の著書「量子力学の基礎」のp15辺りに『BS1で光子がどちらか一方の光路に排他的に振り分けられるのではなく、両方に分配されると考えざるを得ない。ただし、1つの光子が2個の光子になるはずがないので、それぞれの光路にあるのは検出される確率が1/2の「灰色」の光子であって、光路1,2の2つの「灰色」の光子を合わせて、一人前の光子だと思うのである。』との興味深い記述と、マッハツェンダー干渉計による光子の干渉を説明するための図2.5が示されている。さらに、p16に『光路1,2の2つの「灰色」の光子は独立なものではなく、一方が検出された場合には他方は決して検出されないという強い相関をもっている。光子というものは、通常の意味での粒子とは大きく異なっており、「灰色化」することにより、空間、時間的に拡がりをもつことができる。』との記述や、『光子の干渉はヤングのダブルスリットの実験においても見られる。1つの光子が灰色化して両方のスリットを通過して、スクリーンで干渉し、強めあう場所では大きな確率で、弱めあう場所では小さい確率で検出される。』との記述がある。この著書は粒子の量子論である量子力学の基礎を解説する本なのでこのような記述になっているものと思われる。他の量子力学の本では光の粒子性の意味を2つの分けることのできない粒子と考えて、ダブルスリットの片方を光子が通過すると記述されている本が多い中、この本は両方のスリットを通過することを否定していない点で私には非常に興味深い。これは、以前の2023-10-11の投稿「ダブルスリット干渉実験について2」に密接に関係しており、今後の動向に注目していきたい。

 ちなみに、北野正雄先生の著書「量子力学の基礎」のp11に『2.2.量子サイコロービームスプリッタ』として光子(自仮説の1光子レベルの光波束に相当)がビームスプリッタで透過側と反射側に振り分けられるような記述があるが、これは自仮説の量子場光学では2023-10-22の投稿「量子場光学から見たビームスプリッタとダブルスリットについて」にて説明したように、1光子レベルの光波束はあくまで透過側と反射側の両方に分岐されるとしており、透過側の検出器の束縛電子場の電子と反射側の検出器の束縛電子場の電子とが区別できないのでいずれか一方の電子が励起されると考えている。ここで1光子レベルの光波束は光子の素励起情報の波動であって一種の確率波であるとしている。

 以上、私が勝手に思うに、場の量子論を考慮した自仮説の量子場光学を用いれば、すっきりと説明できるように思うがどうだろうか。。。おっと、初心に返るつもりがついついトンデモ自仮説に引き戻されてしまった。。。