量子もつれ光の解釈について4

 エネルギーの局在性と横モードについて電子対生成の観点から何かヒントが無いかと、J.J.Sakurai(桜井純)著の日本語訳「上級量子力学第2巻」を読み進めているが、思わぬところで量子もつれについての記述を見つけてしまった。J.J.Sakurai著の日本語訳「上級量子力学第2巻」のp293からp295辺りだ。EPRについての記述がある。なお、この本の原本は1967年の出版でシカゴ大学のPh.D専攻の学生向けに教科書として使用されたようだ。そして、日本語訳本は日立の樺沢氏により2010年に出版された。

 さて、具体的には、p294の『我々が光子1の偏光を測定するとき、測定の対象となる量子力学系は1光子状態 a_{\mathbf{k}, \alpha}^\dagger |0> ではなくて、状態ベクトルが式(4.214a)で与えられる”複合的な”2光子系である。量子力学における2光子系は、たとえその光子同士が互いに100万マイル離れていて相互作用をする可能性が無いとしても、これを2つの独立な1光子系のように見なすことは正しくない。いかなる一方の光子に対する測定も、2光子系全体に対する測定と見なされる。観測者Aが、光子1の偏光が x 方向であることを見いだしたならば、彼が実際に知ったことは2光子系が a_{\mathbf{k}, 1}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 2}^\dagger |0> という状態であり、 a_{\mathbf{k}, 2}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 1}^\dagger |0> という状態ではないということである。・・・(略)・・・この観点からすると、観測者Bが必ず光子2の偏光を y 方向に見いだすことは、とりたてて特異なことではない。光子1に対する測定が、実際には”複合的な”2光子系が a_{\mathbf{k}, 1}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 2}^\dagger |0> a_{\mathbf{k}, 2}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 1}^\dagger |0> かを決める測定であるという観点を我々が受け入れるならば、 Einstein-Podolsky-Rosen の逆理は逆理でなくなる。』という記述である。

なお、上記での式(4.214a)で与えられる”複合的な”2光子系とはp289の次式のことである。

 \qquad \displaystyle{\frac{1}{\sqrt{2}} \left( a_{\mathbf{k},1}^\dagger a_{-\mathbf{k},2}^\dagger + a_{\mathbf{k},2}^\dagger a_{-\mathbf{k},1}^\dagger   \right) |0> } ・・・(4.214a)』

 これを読んでかなりスッキリした。こんなに以前から場の量子論に基づくEPR問題の解説が為されていたのだ。場の量子論を考慮する量子場光学は、光子は場の離散的なエネルギー状態を意味するもので、それゆえに、原子に束縛された励起電子からの光を1光子レベルの光波束であり光子の素励起情報の波動と呼んで、光子と区別することにこだわった。

 なお、2023-11-05の投稿「量子場光学の考え方」に次のように書いた。

量子もつれ(量子エンタングルメント)についての考え方もここで少し触れたい。これまでの投稿(2023-09-24及び2023-09-27)では2つの1光子レベルの光波束について互いの光子の素励起情報が同じ場合だけを例に挙げて説明したが、もつれていると言う意味は関係付けられているという意味であって、例えば一方の光子の素励起情報と他方の光子の素励起情報について位相が \pi 異なっているという関係付けがあればこれも量子もつれであることを意味している。広く言えば、複数の量子の素励起情報において互いに関係付けがあればその関係付けに基づいて量子もつれしているというふうに考えている。この関係付けが一般には相関と呼ばれている気がする。そして、この相関は素励起情報の重ね合わせをしても失われない。なお、量子もつれは多粒子系(多体系)の量子力学に対応する概念で、各粒子のそれぞれの状態に着目してから複数粒子全体の状態を考える。それに対して、量子場光学では複数粒子が存在する場の状態に着目してからそこに含まれる粒子の状態を考えているつもりである。物を見る順番が異なるので、量子力学でいう量子もつれと量子場光学で私が勝手に考えている量子もつれとはちょっとずれて異なっているのかもしれない。今後の検討課題だ。』

 「上級量子力学第2巻」の記述が説明するように、量子もつれを取り扱うには場の量子論を考慮して場の”複合的な”2光子系をまず考えるのであって、2つの光子という粒子像でいきなり考えると物理的イメージがわからなくなるのだ。そして量子場光学のように、場の量子論を考慮すれば量子もつれに不思議なところは無いというのはまんざら間違いとは言えないような気がしてきた。。。ただ、専門家にとってはたぶん当然のことなんだろう。。。それなら、量子光学の本にも参考として場の量子論から見た考え方も併記してくれていたらわかり易いと思うのだが。。。ただ、量子もつれエンタングルメント)はこの本が書かれた後も色々と発展してきているようだ。私が理解したのはほんの一部に過ぎない。最近の量子もつれの本を読んでもう少し理解を深めていきたいと思う。。。また、ここで忘れてはならない点だが、量子もつれが不思議な世界に留まるのであれば技術として使用するには不安を伴うことになる。理論的に裏付けられて不思議な世界でなくなって初めて安心して利用できる技術ということになる。その意味で、場の量子論を考慮して量子もつれを検討することは重要だと思うのだが。。。なんて。。