再び量子光学の勉強2

 量子光学について色々と勘違いしていた点がみつかってきている。これは量子光学の理解が不十分なところによる。そこで、一旦自仮説の量子場光学は忘れて、再び新鮮な目で量子光学の勉強を開始したい。なお、大きな勘違いとして、量子光学は、特に連続量量子光学の方だが、既に場の量子論を考慮して構築されている。自仮説の量子場光学と既存の連続量量子光学との違いは場の量子論の考慮の仕方が相違しているだけのようだ。

 感覚的には自仮説の量子場光学の方が場の量子論の考え方により近いように感じるが、一方で、量子場光学は、場の量子論には無いものとして、量子の素励起情報の波動という概念、正世界と負世界とから構成された双子世界という概念を新たに導入した。そして、自由量子場を伝搬するのは、量子そのものではなくて、1量子レベルの量子波束という量子の素励起情報の波動とした。この波動は一種の確率波であると考えた。電磁場の量子化では、電磁場をゲージ場(電磁ポテンシャル場)とし、スカラーポテンシャルが遠隔作用となるのを嫌って明白な共変的量子化を採用した。さらに、場の量子論は量子 Einstein 重力による重力場の共変的正準理論の近似というスタンスを採用した。そして、気になったのは場の量子論での真空エネルギー(ゼロ点エネルギー)の扱い方であった。場の量子論では並進不変性を担保するためにハミルトニアンをc数項分シフトさせて再構築する。これはc数項シフトしても運動方程式は変わらないからという理由で、真空エネルギーが0であるかのようになっている。真空エネルギーは存在するが0であると言っているように思えて矛盾を感じる。そこで、自仮説の量子場光学では、双子世界という概念のもとで、仮想粒子の正世界での生成と負世界での消滅を絶えず繰り返すイメージに対して、正世界での \frac{1}{2} \hbar \omega と負世界の - \frac{1}{2} \hbar \omega とが相殺することで時空全体で積分すると真空エネルギーは0となるという考え方を提案した。そこでは瞬時でのエネルギー保存則の破れを許容し、さらに負エネルギーも採用した。まだまだ、色々と場の量子論との相違点がある。

 このようにみてくると、連続量量子光学の方が自仮説の量子場光学よりも素直に場の量子論を考慮しているように思えてきた。自仮説の量子場光学は、恐ろしいことに場の量子論に色々と修正を迫っているような気がしてきた。。。それでも今のところ自仮説の量子場光学の構築を諦めるつもりはない。思った以上にすっきりできる気がするからだ。どうせトンデモ仮説の戯言なのでもうちょっと頑張って構築を進めたい。

 なお、やっぱり、量子光学と量子場光学とで決定的に違う点は、量子光学は離散か連続量かに関わらずあくまで光は粒子性と波動性を持つという相補性が根底にあるようにみえる点だ。一方、量子場光学ではエネルギーの離散化はあっても粒子性は考えていない。そして、エネルギーの離散性は量子波束というより量子場と結びついている。さらに、連続量量子光学は場の量子化を採用しているのにも関わらず有限自由度のままのようだ。さらに、場の量子化において場は調和振動子の集団と考え、集団の統計的性質を対象としている。従って、複数の調和振動子を互いに区別する要素は無い。それに対して、量子場光学は場の量子論と同様に無限自由度を採用している。そして、2014-02-18の投稿「量子もつれ光の解釈3」で説明したように、無限自由度である場の量子論では、”複合的な”2光子系として例えば a_{\mathbf{k}, 1}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 2}^\dagger |0> とか a_{\mathbf{k}, 2}^\dagger a_{- \mathbf{k}, 1}^\dagger |0> かのように光子同士を区別する要素が当初から用意されているのだ。量子光学と場の量子論とでは生成消滅演算子自体が別物だ。通常は量子力学では生成消滅演算子と呼ばずに昇降演算子と呼ぶようだ。もっとも、量子光学でも例えば2つの光ビームA、Bをそれぞれ区別出来る光子A、光子Bと見做すことで、量子もつれを表現できるようにしている。そこでは、モードや偏光等、光ビームの属性の違いによって区別する。

 なお、以前に連続量量子光学は Maxwell 方程式を採用している点で相対論的と言ったが、実際のところ非相対論的と思われる部分も含んでいて相対論的量子力学ほど相対論的でないと感じる。

 と、ぐたぐたと思うところを言ったものの、今後は本の流し読みでなく、もう少しきっちりと量子光学の勉強をした方が良さそうだ。。。