量子場光学で考えた光とは何か

 このブログ「存在は全てが光」を立ち上げた最初の投稿が2020-01-20で「光とは何かという疑問」であった。

 最初の2年間は忙しくて投稿も散発でしかできなかったが、昨年は週に2回程度の割合で継続的に投稿できた。その結果、当初よりもはっきりと光とは何かが明確になってきたように自我自讃している。これが自仮説の「量子場光学」に進展した。

 量子光学の勉強を通して、離散量子光学と連続量量子光学との2つの流儀があることを知った。前者の離散量子光学は光を質点で表現される光子の集団として捉え、個々の光子の光子の状態及びその集団の統計的性質について考察する。後者の連続量量子光学は光を量子力学の原理に従う波動として捉え、電場、磁場、あるいは電磁ポテンシャルの振幅(直交位相振幅)やそのゆらぎを扱う。量子場光学は後者の連続量量子光学との相性が良い。いずれも光を波動として捉えるからだ。しかし、単独光子も含めて光子の場での状態に着目する量子場光学と集団としての光子の統計的性質に着目する量子光学とでは大きな相違点も有りそうで、今後の勉強が必要である。

 また、量子場光学を構築する際に、特殊相対論に対応するため相対論的不変性( Poincar \acute{e} 不変性)を考慮すると、ゼロ点エネルギー(真空エネルギー)をどのように考えるかという問題が生じた。場の量子論では真空エネルギーが発散する問題に対して真空エネルギーを無視するようにハミルトニアンの再定義を行うが、これは不自然でご都合主義的に思えてならない。しかし、そうしないと真空が時空並進不変性を持つとできない。すなわち、相対論的不変性を満足できないことになってしまう。そこで、自仮説の量子場光学においては、この問題を解決するために、正世界(plus-verse)と負世界(minus-verse)とからなる双子世界(twin verse)を導入することとなった。その結果、場の量子論とも違いが生じてしまった。

 さらに詳細に言えば、真空エネルギーの解釈において、 Lorentz 不変性が近似的に成立し、 P^\mu |0> = 0 と関係する並進不変性と一緒になって近似的に相対論的不変性( Poincar \acute{e} 不変性)が要請されると考えて、並進不変性も瞬時でみれば破れることが可能であるがある時間幅で平均すれば0とみなせる近似ができ、時空で積分すればきっちりと0となるという仮説を提案した。さらに付け加えれば、正世界(plus-veres)に光子の生成を意味する正値1を負世界(minus-verse)に光子の消滅を意味する負値ー1を付与して光子の生成と消滅の繰り返しを時空の積分と考えると次のようになる。これは無限交代等比級数での解析接続である。

 \qquad \displaystyle{ "1-1+1-1+ \; \cdots " = \frac{1}{2} }

 \qquad \displaystyle{ "-1+1-1+1- \cdots" = - \frac{1}{2} }

双子世界(twin verse)において、光子場の真空エネルギーとしては時空で積分すると0となるが、光子の生成と消滅を無限回まで繰り返すと人間が認知できる正世界(plus-verse)では真空エネルギーは \frac{1}{2} \hbar \omega となり、光子の消滅と生成の順で無限回まで繰り返す負世界(minus-verse)での真空エネルギーは - \frac{1}{2} \hbar \omega となる。そして、場の量子論では真空エネルギーは空間で積分すると発散することになっているが、自仮説の量子場光学では正世界の正エネルギーと負世界の負エネルギーとで相殺されて発散することはない。この様子は仮想光子の場図表現のPT図とΩT図で表現した。

 以上のように考えれば、場の量子論においてもその略近似である自仮説の量子場光学でも、正エネルギーと負エネルギーの存在のもとで最低状態とはエネルギーの絶対値で判断するものとし真空場の最低エネルギーが0であるという説明が可能となって、再定義という不思議なことをしなくても相対論的不変性( Poincar \acute{e} 不変性)の要請を満足することができる。

 次に、量子場光学は、光子のイメージを明確にするために、電磁場の明白な共変的量子化を採用した。B場を補助場とし不定計量を導入した共変的量子化により、2つの横波光子と1つのスカラー光子とからなる光子のイメージが明瞭となった。仮想光子とクーロン力の関係も明瞭となった。さらには、未知の統一論の候補の一つである量子 Einstein 重力による重力場の共変的正準量子論との相性が良くなった。光子のイメージをもっとわかりやすくするために、光子の場図表現としてPT図とΩT図を提案した。PT図では実光子は2つの横波光子はP軸方向の1軸振動で表示され、スカラー光子は原点での黒丸で表示された。ΩT図では実光子が角振動数 \pm \frac{3}{2} \omega で振動することが表現された。

 また、量子場光学においては、光子は厳密に言えば電磁場のエネルギー状態を意味し、位置が特定できる存在ではない。原子に束縛された励起電子が光学遷移により放出するのは光子ではなくて光波束である。そこで、「1光子レベルの光波束」という概念を提案し、縦モードを波数の少しずつ異なる平面波の重ね合わせで表現し、横モードを基本は無限平面とするところ実際には光源や光学系の特性によって容易に制約されるものとした。これにより光子の大きさを議論する意味は無くなった。さらに、厳密に言えば、自由光子場を伝搬するのは光子のエネルギーではなく光子の素励起情報の波動とした。同時にエネルギーの移動は場と場との同時空点での相互作用で生じるとした。これにより、いわゆる波動の収縮(波束の収縮)という不可思議な説明を不要とした。さらに、光のダブルスリット干渉でスポットの集合が干渉縞を形成する様子を説明可能とした。

 以前から気になっていた量子光学でのベルの不等式と非局所性との関係は、自仮説の量子場光学を持ち出すまでもなく、今やベルの不等式の破れは古典論が破れて量子論が成立することを意味し、局所性が破れて非局所性となるチレルソン不等式の破れとなる理論は未だ見つかっていない。したがって、量子光学でも既に局所性は担保されている。

 以上のように、昨年途中に立ち上げた「量子場光学」によって、光とは何かがかなり明瞭となってきた気がするが、それでも、こんなに身近なものでありながら不思議な存在だ。。。