初心に返って光とは何か:粒子性と波動性

 光とは何かを明らかにしたくて自仮説の量子場光学の構築を目指した。そして、私の力量の範囲ではこれぐらいかなあという程度まで検討してきたつもりだ。これがトンデモなのかある程度意味のあることなのかはまだなんとも言えないが、自分なりに満足している。ただし、光とは何かを考える時に、自仮説に引っ張られ過ぎて問題点が見えなくなってきている気もする。量子論の歴史も踏まえて基本的なところをすっきりとしたい。

 そこで、色々な本を読んで理解を基本的なところから深めていきたいと思う。ただし、自仮説の見直しが目的なので、自仮説と比較することは必要である。そうすれば、自仮説の問題点も見えてくる気がするからだ。

 今回は、光の粒子性と波動性の二重性について考える。 Young のダブルスリット干渉実験を見れば波動性は明らかである。問題は粒子性の方である。粒子性の定義が曖昧のように感じる。光のエネルギーが離散的で \hbar \omega のエネルギー量子として表現されることが、 M.Planck の放射公式で明らかになった。ただし、これは光のエネルギーの離散性である。波動であっても閉じ込められれば離散的になる。光電効果 Compton 散乱は半古典論で説明可能であるので粒子性の根拠とならない。量子光学においては今はアンチバンチングが粒子性の根拠という意見があるが、量子光学において光子と呼んでいるものは自仮説の1光子レベルの光波束であって私はアンチバンチングも粒子性の根拠とはならないと考えている。粒子性が数えられるものという定義ならば光波束も粒子性ということになって波動性との区別がつかない。まして、バンチング、アンチバンチングというのは光源からの発光のタイミングの統計的性質であって、光源から出射した光単体の性質ではない。さらに、光の粒子性が光子が剛体のような存在と考えることは相対論的に有り得ない。

 それならば、光は波動そのものであるとした方が良いように思うがどうだろうか。自仮説では光子は光子場の波動で、1光子レベルの光波束が一種の確率波として自由光子場を伝搬していくと考えている。そして、自由光子場が束縛電子場と相互作用する際に、光子のエネルギーの離散性が出現する。。。なお、ついでに自仮説の量子場光学では電子も波動そのものであると考えている。。。戯言かもしれないがちょっと力が入ってしまった。。。