突如として安易かもしれないが、光子だけに特化して双子世界の正世界の横波光子の振動状態を調和振動子近似と 表示で表現する『相対論的量子光学』を立ち上げることにした。相対論的量子力学という名称のマネで、『相対論的量子光学』は『量子場光学』と兄弟分となる。『量子場光学』は「存在は全てが光」への道につながるので光子以外に電子、陽電子、ニュートリノを既に含めているが、『相対論的量子光学』は光子だけを扱う。そして、『光子光学』は古典光学、量子光学、『相対論的量子光学』及び『量子場光学』とから構成されることになる。
相対論的量子光学では、量子場光学で登場した双子世界のうちの正世界の横波光子の振動に着目して調和振動子近似で量子化することになる。特殊相対論に対応するための自由光子場の1光子レベルの光波束の伝搬は量子場光学と同じだ。光源や受光素子や光学素子を表現するために必要となる束縛電子場は登場するが、自由電子場や擬自由電子場は登場することはない。双子世界の正世界にしか着目しないので場図表現は登場せず、並進不変性の話題も取り扱わない。丁度、量子場光学と量子光学との繋ぎとして存在する。 方程式が相対論的なのでもともと量子光学も相対論的じゃないかという考え方もあるかもしれないが、『相対論的量子光学』はあくまで『量子場光学』の兄弟分でその近似という位置付けであって、それ以上深くは考えない。
今後は、量子場光学の構築と並行して相対論的量子光学の構築も進めることになる。量子場光学は無限自由度の量子論に基づくのに対し、相対論的量子光学は有限自由度の量子論に基づく。これで、安直だが当面はすっきりだ。。。そして、光学実験に代えて を利用して色々と試してみることができるのは嬉しい。。。
ところで、『量子場光学』の兄弟分として『相対論的量子光学』を立ち上げて気が付いた点だが、これまで量子光学は光子の集団の統計的性質を扱うとして、『量子場光学』が1つの光子に着目する点が特長と量子光学と区別するような表現をしてきたが、これは適切でなく、量子光学は光子の集団の統計的性質を定量的に扱うことができるのが特長で、もちろん、1つの光子も扱うことができるというべきであった。ここでの光子は自仮説の1光子レベルの光波束の意味である。一方、『量子場光学』は定量的な扱いが不得意で、まして光子の集団の統計的性質を定量的に扱うのはたぶんほとんど無理であろうし、さらにそこに注力しようとする興味も無いということだ。『量子場光学』の特長は電子、ニュートリノ、中性子といった光子以外の量子も扱える点と特に光子から電子の対生成をするような異なる量子間の事象を扱うことができる点にある。そして、『「存在は全てが光」への道』にとってはこちらが必要なのだ。ここで、本質的に重要な点は、場の正準量子化にあたって有限自由度の正準変数とするか無限自由度の正準変数とするかという点である。そして、自仮説においては、有限自由度の量子論に基づく『相対論的量子光学』があり、無限自由度の量子論に基づく『量子場光学』がある。このように整理するとかなりすっきりである。
さらに、量子光学、『相対論的量子光学』及び『量子場光学』に共通して以前から気になっていることとして、『真空状態』とか『真空エネルギー』とか『真空ゆらぎ』という表現である。例えば、光子の場合は『0光子状態』とか『0光子エネルギー』とか『光子ゆらぎ』の方が良いように思う。『量子ゆらぎ』はよく使われているが、光子に対しては『光子ゆらぎ」と言ってしまった方が良いように思う。特に『相対論的量子光学』及び『量子場光学』では双子世界を採用しているので『0量子状態』とか「0量子エネルギー』とかここでは『量子ゆらぎ』と呼ぶべきなのだ。そして、電子の場合は、『電子ゆらぎ』となる。『光子ゆらぎ』と『電子ゆらぎ』を明確に区別したいのだ。例えば双子世界では、正世界の『光子ゆらぎ』のエネルギーと負世界の『光子ゆらぎ』のエネルギーが相殺されるのだ。そして、正世界の『電子ゆらぎ』のエネルギーと負世界の『電子ゆらぎ』のエネルギーが相殺されるのだ。。。また、『真空』という用語は本当に何も存在しない場合に使う方が誤解が無いと思う。。。うーん、でも、『真空期待値』『真空場』の場合は、『0量子期待値』や『0量子場』というのもなんだかなあ。。。迷うところだ。。。やっぱり、これまで通り、慣例を重んじて『真空状態』『真空エネルギー』『真空ゆらぎ』『量子ゆらぎ』のままとしよう。。。でも、気持ちは変更したい気分だ。。。